鳳凰山地蔵岳オベリスク
(南アルプス北部
ウェストンの足跡を訪ねて

その1
2011年8月2日(日帰り)
その2へ進む
山の手帳へもどる
鳳凰山地蔵岳オベリスク(2002.12)

【はじめに】
 夏山行第二弾は、W.ウェストンが1904年に初登した地蔵岳オベリスク(鳳凰山)に登って来ました。
 鳳凰山には、白峰山三山や富士山等を撮りに冬には何度も登っていますが、無雪期には一度も歩いたことがなく、また、山名の由来(注1)とされる地蔵岳山頂部の花崗岩の岩塔「オベリスク(地蔵仏)」にも登ったことがありませんでした(昨年登った五丈岩(金峰山)とともにずっと気になっていた)。
 このところ連日梅雨に逆戻りしたような天気で、この日も午後から雨の予報。ただ、青木鉱泉からオベリスクなら早朝歩き始めれば、午前中のうちにその頂に立つことは十分可能なため、思い切って行ってみることにしました。
 なお、ウェストンは芦安・杖立峠を経て御室から薬師岳,観音岳(注2)を縦走し、オベリスクに登攀していますが(現在の夜叉神コースから三山縦走か)、夜叉神コースからの三山縦走は2度経験があるので(1995年1月,2002年12月)、今回はアプローチは省略し、オベリスクの登攀のみを目的としました。

(注1)鳳凰山の山名・その指す範囲について
 山名の由来については、地蔵岳オベリスク(地蔵仏)の尖塔を大鳥の嘴に見立てて鳳凰(大鳥のこと)山と呼ばれるようになったとするものが有力、他にも、地蔵仏の2つの巨石が相抱くように立っている姿を大日如来に見立てて崇拝し法王山の名がつき、これが鳳凰山に転化したという説等があるようです。
 また、「鳳凰山」が指すの範囲(山域)については、現在は地蔵岳・観音岳・薬師岳の三山(鳳凰三山)の総称とする三山説が一般的ですが、かつては、山麓で一般的だった一山説(地蔵岳のみ)、二山説(観音岳・薬師岳)が有力だったこともあるとのこと。もっとも、二山説は地蔵仏が山名の由来となったとすることと矛盾するような気もしますが・・・・。
(注2)ウェストン当時の鳳凰山の各ピークの名称について
 ウェストンの著作のオベリスク登攀の一節に「御室から1時間半の楽な登りで鳳凰山塊の最高峰、地蔵岳に達した。」とありました。この記述から@三山説が採られていて、A当時は地蔵岳が最高峰とされていたのかと思ったら、どうもそうではないようです(Aの部分)。それは、この『地蔵岳』からの展望描写に現在の「地蔵岳」が別のピークとして出てくるからです。
---------------------------------------------------------------------------------------【日本アルプス再訪(W.ウェストン著・水野勉訳・平凡社ライブラリー)より引用】
 御室から1時間半の楽な登りで、鳳凰山塊の最高峰、地蔵岳に達した。
<中略>
去年立てられた三角点からは素晴らしい展望が広がっていた。東は八ヶ岳から富士山まで、西は白根山[北岳]連峰と仙丈岳、すぐ前には、甲州駒ケ岳のピラミッド峰が見えた。
 けれども、最も目を引いたのは鳳凰山の尖峰で、今や、花崗岩のガレ場の巨大な台座から、目の前にそびえていた。そこに達するために、われわれは痩せ尾根を下って、ハイマツと低い薮の中を通過し、低い鞍部へ着く。
---------------------------------------------------------------------------------------
 私は『地蔵岳』はおそらく現在の「観音岳」ではないかと思います。ただ、仮に私の推測が正しいとしても、それがウェストンの勘違いなのか、当時一般的に現在の「観音岳」が『地蔵岳』と呼ばれていたのかは不明。ちなみに、上記文献では、『御室』の先の最初のピークとして『砂払』は出てきますが、薬師岳もそれらしきピークの描写もありませんでした。

【山行記録】
0.青木鉱泉まで
 7月末から予備日を入れて3泊の山行を計画していたが、梅雨に逆戻りしたような週間予報に嫌気がさし、秋に予定しいた地蔵岳オベリスク(地蔵仏)登攀(のんびり1泊2日)に小川山クライミングを追加したプランに変更。ところが、登山口の青木鉱泉へ行ってみると(7/30)、夜明け前から雨となったため(曇り時々晴れ午後から雨の予報だった)、先に小川山へ行き、天気と相談しながら後の日程を決めることにする。
 廻り目平(小川山)は、毎日雨模様だったものの(バケツをひっくり返したような雷雨もあり)、2〜3時間続けて止む時間があり、晴れ間をうまく使ってそれなりに楽しめた。最終日の8/2は午前中は降らないとのことで、慌しいが、日帰り速攻で地蔵仏参りに挑戦することにした。

 8/1(月)は小川山廻り目平で午前中はフリークライミング、午後早めに撤収(昼すぎから雨)、風呂・買い物・食事等で時間をつぶし、のんびり青木鉱泉へ移動。
 なお、国道20号方面から青木鉱泉へは小武川林道を利用し韮崎から1時間くらい(他にも神代桜の近くを通る道があるが8/3まで工事通行止め)、林道は所々未舗装箇所があり、轍の間が盛り上がっていたり落石がごろごろしていて、車高の低い車は注意を要する(とくに夜間)。21時過ぎに駐車場に到着。青木鉱泉には何箇所か駐車場があるが一番手前の駐車場には10台ほどの車が止まっており、隣のキャンプ場にもテントがあった。明朝は早いので早々に車中仮眠とする。標高が低いため(1150m)蒸し暑くなかなか寝付けなかった(蚊取り線香を炊き少しドアを開けて寝た)。

8/2(火)曇り一時晴れ、昼前から雨
1.鳳凰小屋まで(ドンドコ沢登山道)

(
)青木鉱泉(1150m)〜南精進ヶ滝展望台との分岐
青木鉱泉駐車場4:40--(ドンドコ沢右岸の工事迂回路)--小武川第三砂防堰堤(左岸に渡り返し本来の登山道へ)4:55--南精進ヶ滝展望台との分岐5:53
1460m付近の枝沢  隣に止まった車の開閉音で目が覚めるも(3時半過ぎ)、やっと寝付いたところで、なかなか起きられず、出発準備に取りかかったのは単独者2人が既に出発した後だった(4時頃)。
無理やり朝食を詰め込んで出発、空が漸く少し白み始める。ただ、谷筋で樹林もあるため、しばらくはヘッデンの灯りで歩いた。青木鉱泉を右手に見てその前の広場から登山道に入る。ドンドコ沢へ下り(山腹と沢沿いを歩くコースがあるが後者の方)、道は一旦右岸へ渡る。このコースは過去2度歩いたことがあり、概ね左岸沿いだったような記憶。すぐに工事標識が現れ、護岸工事で右岸が迂回路とわかりホッとする。巨大な堰堤の下を梯子や仮橋で左岸へ渡り返す。この堰堤(小武川第三堰堤)は見覚えがあり前回歩いたときは(2008年1月)まだ工事中だった(左岸側に設置されていた長い鉄梯子を登って越えた)。漸く明るくなり、堰堤の竣工記念碑のところから左岸側山腹の本来の登山道へ入る。


 北側から枝沢や沢型が何本も入り、道はこれを横断。最初のものは僅かに水流があるも容易に跨げる。その後の沢型を渡る箇所は道が細く下は切れ落ちているので、特に天気の悪い日(雨や雪)の下りはスリップに気をつけた方がよいと思った。
程なく立派な道標(南精進ヶ滝・地蔵岳方面を示すもの)が立っている小広場に出る。すぐ下りとなり小滝のある沢(1460m付近で北から入る枝沢)を飛び石伝いに渡る。同じような沢をもう一つ渡り登り返すと南精進ヶ滝展望台と直接地蔵岳方面へ向かう道との分岐に着いた。ここには立派な道標とベンチがある。
()南精進ヶ滝(展望台との分岐)〜白糸ノ滝展望台
南精進ヶ滝展望台との分岐5:53--展望台6:02/05(展望台周遊路を逆走・タイムロス10分)--鳳凰ノ滝方面との分岐6:27--白糸ノ滝展望台7:12/16
南精進ヶ滝  展望台は素通りするつもりで地蔵方面の道へ入るも、ここで妻を先に歩かせたのが失敗、気を抜いて後を歩いていた私も悪いのだが、ポピュラーな一般道で思わぬルートミスをやった。
少し長い下りが続き眼前に南精進滝が望める場所に出る。実はこれが展望台で、朝隣に駐車した単独者が休んでいた。過去2回この風景には記憶がなかったが、滝の写真を撮った後、なおも先に進む。ところが、フィックスロープの付いた急下降となり流石にミスに気が付いた。コンパスと地形図で確認後、下ってきた道を登り返す。展望台への道は、分岐から滝見台を経由し、その先で地蔵岳方面の道に合流するようになっていたのだ(私たちは合流点からこれを逆走)。
 
 本来の道に戻り、水流のある小沢を二つ連続して渡ると(1640m、北西からの枝沢)、道は山腹横断から尾根の登りへと変わる。この尾根は御座石コースのある尾根から南東に派生する支尾根で、始めはその北側山腹を歩き、白糸の滝滝見台の少し手前で南側に出る。なかなかの急登で過去2度は雪道に冬装備ということもあるが、いずれもコースタイムを大きくオーバーしていた。特に鳳凰の滝分岐〜白糸の滝滝見台までは倒木や大岩で段差
のある箇所が多く本コースでは一番辛い箇所。
今回はクライミング・ギア等はあるものの、日帰りなので重量は知れている(日帰りハイキング装備+登攀具7kg)、特に個人装備しか持っていない妻は普通のハイキング装備と大差ないはずだがそれでもペースは上がらなかった。この区間で、先の滝見台で一旦追いついた単独者をパスしたほか、10人くらいの下山パーティーとすれ違ったが、以後鳳凰小屋までは誰にも会わなかった。
(3)白糸ノ滝展望台(1840m)〜鳳凰小屋(約2400m)〜賽の河原(2690m)
白糸ノ滝展望台7:16--五色ノ滝の道標7:39--北御室小屋跡地(高巻道からドンドコ沢へ下りた所)8:08--鳳凰小屋8:26/33--賽の河原上(地蔵が祀ってある所)9:17
白糸の滝  白糸の滝の道標が立つ所はすぐ先が滝見台となっており、ちょうど陽も差していた。水・行動食を補給、まだ行程の半分だし、オベリスク登攀は2時間くらい見ておいた方が無難、慌しいが何枚か写真を撮っただけで先を急ぐ。
 少し登った後、今までの尾根から離れ(下る)北西から入る顕著な沢(水量は少ない)を渡る。この先、先刻とは異なる支尾根の登りとなる。すぐに五色の滝の道標が現れるもこれは方位を示すもので、「五色の滝(道標だけで滝はよく見えない)」はもっと先だった。
 
 五色の滝(道標)からは尾根を少し下り小さな涸れ沢(花崗岩と砂で白っぽい)を渡る。この後、少し登り返して尾根の山腹からドンドコ沢へ下るのだが(下った先が多分北御室小屋跡地)、2008年冬はこの辺りでルートを見失い敗退した(トレースがなくドンドコ沢への下り口を見つけられなかった)。そのときのビバーク地は容易に特定でき、そこから北御室小屋跡地は僅かな距離だった(なぜ分からなかったのか不思議なくらい)。
 ドンドコ沢に下った後は何度か右岸・左岸と飛び石伝いに渡り歩き、沢沿いを少し登る(ペンキ表示が多く迷うことはない)。すぐに二俣となりその間の尾根道へ入ると鳳凰小屋はすぐだった(ドンドコ沢へ下りてから20分、但し2005年のクリスマスはラッセルとなり1時間近く要した)。
 鳳凰小屋は宿泊者が出発した後でガランとしており、小屋のスタッフが玄関前で朝食中だった。缶ジュースを買って小休止。小屋の主人と思しき人にオベリスクの取付の位置を確認する。
 青木鉱泉から4時間弱なら私たちには上出来。すっかり日差しがなくなり予報より早く降りそうな気配だが、この時間なら何とかその前に地蔵仏参りは終えられそうな気がした。

 水場の先から樹林に入る。前半は木に覆われた登山道で少し急なところもあるが整備されていて問題なし。後ろから一見トレラン風の単独者が迫ってきたので道を譲る(私たちより少し若いくらいか?)。
 樹林を出ると賽の河原。正に天を突くようなオベリスクを右手に見ながら崩れやすい砂地を一歩一歩登って行く。3歩登って2歩とまでは行かないが1歩くらいは下がり疲れる。ここは冬登ったときの方が余程楽だった。この頃から下山者と頻繁にすれ違うようになった。
 お地蔵様がある所で一休み、呼吸を整える。お地蔵様に登攀の安全を祈願して取付へ向かう。
賽の河原に咲いていた花(タカネビランジ)
同じタカネビランジでも花の色が白いものや(右・シロバナタカネビランジ)、花弁が少し幅広のものがあった(真ん中)
その2へ進む
ウェストンの足跡を訪ねて
トップ アイコン山の手帳トップページへ
山の手帳別冊へ

(since2010.1.10