松尾峠から湯川谷・ザラ峠越え
(北アルプス北西部・立山連峰)その1
ウェストンの足跡を訪ねて

2011年11月3日〜5日(幕営2泊3日)
 その1
その2 その3
その4 その5 その6
山の手帳へもどる
ザラ峠(獅子谷出合より)

【はじめに】
 今回は、ウェストンも歩いた「ザラ峠・針ノ木峠越え」の前半部分(松尾峠〜立山温泉跡〜新湯〜ザラ峠〜五色ヶ原〜平ノ小屋)のトレースが目的。
 
 「ザラ峠・針ノ木峠越え」は、
北アルプス北部で対峙する立山連峰(ザラ峠)と後立山連峰(針ノ木峠)という二つの山稜を越え越中(富山県)から信州(長野県)へ抜ける長大なコース。古くは戦国武将佐々成政の「さらさら越え(1584年冬)」の舞台とされています(異説もあり正確な経路については定かではない)。
かつて道が整備された時期もあったようですが、飛越地震(1858年)により常願寺川源流域の崩壊(大鳶山・小鳶山)、それ以降も豪雨等による土砂災害が絶えず、立山温泉(廃湯)〜ザラ峠の区間の登山道は現在廃道。また、松尾峠〜湯川谷は、近年砂防工事のための緊急避難路として復活したものの、立山カルデラ内は一般の立入制限がなされており、この道は建前上利用できないことになっています。ちなみに、
W.ウェストンが1893年に逆コース(注1)で歩いたときにも、道がいたるところで寸断されておりかなり苦労したとのこと。それにもかかわらず、滞日最終シーズン(1914年)のオープニング山行で再訪しており(このときは順コース(注1))主目的は剱岳だったようですが(悪天のため果たせなかった)、やはり、このコースへの思い入れが深かったのだと思います。


 さて、このコース(前半部分)は6月にも挑戦していますが、その時は残雪が多く松尾峠からの下降路すらわからず敗退しました。夏には一気にコース全体を歩く計画も立てましたが、天候が悪く断念、今年はもう諦めていました。ところが、11月(例年なら新雪期)になっても北アルプス北部ですら雪がなく(室堂等のライブカメラ)、年賀状の写真は撮れそうにないため、急遽本コースに変更した次第。
 ただ、11月になると砂防工事が休工になるのはありがたいですが()、「平の渡し」も終了し、針ノ木谷遡行〜針ノ木峠〜扇沢を継続して歩くのは不可能となります。また、日は短くなるし、アルペンルート運行時間の短縮により行動時間の制約が大きくなり(特に扇沢から入山の場合)、いくら暖かいとはいえ、この時期夏装備で臨むわけにもいかず、当然重荷になり軟弱な私たちには体力的に厳しくなります(防寒着のほか結局ピッケル・アイゼン・ハーネス・ロープ等も持参した)。そこで、ザラ峠越だけではもったいない気もしましたが、以上の点を勘案し、少し余裕をもって、3日間の日程としました(1日あたり5〜6時間の行程)。

(注1)佐々成政の「さらさら越え」の往路に相当するものを(富山→長野)順コース、復路相当を(長野→富山)逆コースと呼ぶことにします。
(注2)前述のとおり、本コースのうち立山カルデラ内の部分(松尾峠〜立山温泉跡〜新湯〜ザラ峠)は、かつてあった登山道が廃道となっているのに加え(1969年の土砂崩れによるもの)、新湯の下までは現在も継続して国土交通省による砂防工事が行われており、危険防止とともに(おそらくは)工事に支障をきたさないよう、一般の立入りが厳重に制限されています
また、現在工事が行われていない新湯〜ザラ峠も、道標はもちろんテープ等一切無く、踏跡も右俣上部の草付を除きありません(ルートファインディングはポピュラーなバリエーションルートよりむしろ難しいくらいで、一般道しか歩いたことのない人はやめた方が良い)。
さらに、湯川谷は今回も膝くらいの渡渉が何度かありましたし(多少は沢登りの経験があった方が無難かも?)、ザラ峠までの急峻なガレ沢の登り標高差からは想像できないほど大変でした(40°くらい・全て浮石で、池ノ谷ガリーの登降より長いし困難)

 ザラ峠・針ノ木峠越えのルートイメージと今回の山行の位置付け

ウェストン(1) 1893年08月 J→@ 
ウェストン(2) 1913年08月 @→J
 山の手帳(1)  2010年06月 J→I+I→J
 山の手帳(2)  2011年11月 @→C(A除く)+E→F
 山の手帳(3)  2013年08月 J→F
 山の手帳(4)  2014年07月 F→C

【山行記録】
11/3(木)小雨のち午後から曇り

0.弥陀ヶ原バス停まで(アプローチ)
 前回(常念岳)同様、山行日当日の午前2時頃出発。常念岳では睡眠不足のせいか後半バテたが、今回は総歩行時間の短い弥陀ヶ原→黒部ダム方向、しかも3日の日程で計画しており(1日辺り5〜6時間)、計算上、毎日10時過ぎから歩いても何とかなるから、最近不調の妻でも楽勝のはずであった(今回バテたのは私だったのだが)。
 単発の祝日のせいか道路は空いていて予想より早く扇沢の市営駐車場に到着。駐車場は2〜3割埋まっていた。予報どおり明るくなりはじめた頃から小雨が降り始める。扇沢駅はこの天気なのに結構賑わっていた(ほとんどは旅行ツアーの団体)。登山スタイルの人は数えるほど、冬のウェアーにピッケル・スノーシュー持参の人もいれば、完全に無雪期山行の井出達の人もいる(私たちはその中間か)。

 室堂はガスで真っ白、高原バスは昨日泊まった観光客ばかりだった。視界が悪いのは上の方だけで、車窓から晩秋の高原(弥陀ヶ原)が見えるようになりほっとする(雪も全くなし)。15分で弥陀ヶ原に到着、乗車する人はいたが、下りるのは私たちだけだった。
 室堂より少し天気がよく迷ったが、予報では日中は降りそうなので、ここで雨具の下も履くことにする。

1.立山新湯まで
(
)工事用緊急避難路を探して
弥陀ヶ原バス停10:20--追分駐車場10:33--(松尾峠展望コース)--緊急避難路出口10:57
B緊急避難路出口
 まずは、追分バス停(弥陀ヶ原案内図A)まで下る。追分は松尾峠展望コース(立山カルデラへ至る「工事用緊急避難路」はその途中から分岐する)の入口で、室堂で予め告げれば追分で下車することも出来るが(乗車は不可)、前回素通りされるという苦い経験もあり、今回は弥陀ヶ原遊歩道を歩くことにした。
A追分から松尾峠方面の遊歩道へ入る 高原道路を僅かに下り、案内板から遊歩道をに入る。花や草紅葉の季節なら高層湿原の散策も楽しいのだろうが、やはり11月では時期が遅すぎた。枯れ草と熊笹の中を道が続くばかりで、濡れた木道はスリップしやすく歩きにくかった。
 追分は、遊歩道外回りコースが再び高原道路の脇に出るところ(道路の出口に祀ってあるお地蔵様が目印)。道路を反対側に渡ると「弥陀ヶ原」の道標と許可車両の駐車場があった。6月に行った時はこの辺りは1m以上の残雪があり、展望コースなどサッパリわからなかった。雪がないと松尾峠方面へ木道が伸びており、当面はルートファインディングは問題なさそう。
 道標から木道に入る、すぐに現れる「美女平方面」の遊歩道を右手(西方)に見送り、南下(直進)すると、「松尾峠展望コース」は再び左右二手に分かれた(道標あり)。地形図にも追分のすぐ南から松尾峠までの周回するルートが記されておりその分岐らしい。ということは左右いずれでも行ける事になるが、「緊急避難路」の分岐は右コース上にあるとのことだから(松尾峠の手前)、そちらを選択することにした。
 右コースは浅い沢型へ一旦下り松尾峠まで一本調子の登り。途中に丸木のベンチ・テーブルもある整備された遊歩道で、時折右手にはピラミダルな鍬崎山も覗く。
B緊急避難路出口  シラビソの中の登り返しは少々息が切れる箇所もあるものの、程なく傾斜が緩み、右脇に「緊急避難路」を示す『通行禁止』の看板、それは、全く拍子抜けするくらい簡単に見つかった。
なお、この箇所は、湯川谷から松尾峠への緊急避難路なので以降「避難路出口」と呼ぶことにする。

「避難路出口」を過ぎ遊歩道を少し先まで進んでみると、右手に1882m峰が覗く、周囲は見覚えのある風景で、ここは松尾峠の西側直下のようだ。とすると、春、松尾峠から下降した際に近くを通ったはず。おそらく遊歩道も看板も雪の下で分からなかったのであろう。
 その1
その2 その3
その4 その5 その6
ウェストンの足跡を訪ねて
トップ アイコン山の手帳トップページへ
山の手帳別冊へ

(since2010.1.10