松尾峠から湯川谷・ザラ峠越え
(北アルプス北西部・立山連峰)その5
ウェストンの足跡を訪ねて

2011年11月3日〜5日(幕営2泊3日)
その1 その2 その3
その4
その5
その6
山の手帳へもどる

【山行記録のつづき】

11/4(金)快晴
2.ザラ峠越え
()遠かったザラ峠
「下の二俣(1980m・ザラ峠取付)」12:55/13:30(靴に履き替え・大休止・左俣(ガレ沢)を登る)--右岸の涸沢出合13:50--「上の二俣(2220m・草付)」14:40--(左俣を登る;ルートミス)--稜線(2450m)15:46/16:30(現在地確認等)--(この先一般道)--ザラ峠(*2348m)16:42/55--五色ヶ原幕営地分岐17:22--五色ヶ原幕営地の水場17:48/18:05(水補給)--幕営地(五色ヶ原東方の尾根2140m)19:01
 左のガレ沢を登る。下部は大き目の岩が多く比較的安定していたものの、右岸に入る沢型を二つ程過ぎる頃から岩が小さくなり(多くは20cmくらい)、登った先から次々に崩れて登り難い。よくもまあこれだけの土砂が溜まったものだと感心。そういえば、『立山カルデラにたまった土砂は約2億立方メートルで、全て流れ出すと富山平野の全体が平均2mの土砂で覆われる(Wikipedia「常願寺川」)』とあった。まるで砂利の山を登っているような感じだが、この小岩の流れの上には所々3m以上もある岩が載っており、一旦崩れると一緒に滑り落ちてくるから厄介。
ただ、よく観察すると右側(左岸側)の方が踏まれており、そちらは潅木もあって中間部までは、それでもまだ登りやすかった。 
 左岸の潅木が薄くなり、視界の開けた広い草付が現れる(高度計の読みで2220m)。ここは、前述の「上の二俣」であったが、二俣というより、いわば扇の要のようなところで不明瞭な沢型がいくつも分かれていた。登ってきたガレ沢は「上の二俣」からやや左手へ向かい、草付の方は右手の沢型へと続いている(不明瞭ながら所々踏跡あり)。当初その踏跡を辿り右手へ向かったものの、先がハイマツ帯に続いているのが気になる。 少し悩んだが「右の方がずっと低いよ(ザラ峠は最低鞍部)」と言う妻の言葉にも耳を貸さず、再びガレ沢に戻ってしまった。それは、僅かに先行していた私には右の沢型のツメが「ずっと低い」というほどの高低差には見えなかったし、過去の薮漕ぎの苦労が脳裏をよぎり(奥穂南稜や霞沢岳八右衛門沢)、ハイマツ帯を回避したい気持ちの方が強かったからである。結果的にこの判断は誤りだった。
「上の二俣」:は縦走路の傍にある目印になる「大岩」
 ガレ沢上部は、斜度が増した上、岩がサイズダウンして、今までより一層登り難くく感じる。私は右手はハイマツを手掛りに、左手は今まで通りストックを突いて2足歩行したが、頻繁に土砂が滑り(3歩進んで2歩以上下がるような状況)、この登りでヘロヘロ。一方、クライミングのように三点支持で登った妻は、ほとんど落石を起こさず、楽そうに見えた。

 ガレ沢のツメには小さな頭があり、最上部はその右側直下に抜ける(高度計の読みで2450m)。少し獅子岳寄りの稜線に出たと予想していたが、あるはずの縦走路が見当たらない。「いったいここはどこ?」疲労とショックでほとんどパニック状態。こうなると、今まで確認したはずの現在位置が全て誤りだと思えてきて、咄嗟に鷲岳付近かと疑った程。無論、地形図を見て流石に見当違いとわかったが(鷲岳方面は崖状の岩場で登ってきたルートとは地形が異なる)。
 行動食と水分を補給し頭を冷やす(ドリンクゼリーで生き返った)。落ち着いたところでもう一度周囲を見回す。左手間近に小岩峰があり北方〜東方の視界が遮られているが、南東から北西にかけては開けている。稜線は南西方向に下っており眼下に鞍部が見えた。鞍部はおそらくザラ峠と想像できたが、縦走路が見えないのがどうしても気になっ
た。これは、陽が傾いてきており、南方〜西方は逆光でいまひとつ様子がわからなかったからなのであるが、疲れていることもあって、確信もないのに下ってみようという気にはならなかった。
仕方がないので周囲のピークの方位から現在位置の割り出しにかかる。ところが、意外にも針ノ木岳が見えないし、槍ヶ岳・笠ヶ岳等、自信を持って指摘できる山は遠すぎる(手持ちの地図の範囲外)。何とか赤牛岳を特定し、これと鍬崎山からザラ峠近辺にいることは分かったが、いずれも少し遠すぎて精度には疑問が残った。こんなことなら、立山〜五色ヶ原は事前に歩いておくべきだったが、いまさら後悔しても後の祭り(立山〜薬師岳間の稜線は歩いたことがない)。
   南沢岳      烏帽子岳         三ツ岳         野口五郎岳  槍ヶ岳           赤牛岳              笠ヶ岳
                                                        越中沢岳
 この間左手の小ピークの方へ偵察に出かけていた妻が戻ってくる。縦走路を見つけたとのことで、ホッとした。行ってみると登山道は稜線から東側に少し下ったところについており、そこまでは僅かな距離であった。ジグザグ道を少し下って稜線に戻り地形図と南西方の山並みを照合してみる。有難いことに、その頃には太陽が前方の山に隠れ眼下の鞍部や周辺の尾根・谷、縦走路の様子が見えるようになっていた。正面にはスケールの大きいカルデラ壁があり、その上に頭を出している山が鷲岳(前方の山)、手前には急峻な尾根を挟んで湾曲した稜線、その下はスプーンカットしたような小カール状の谷となっていた(「上の二俣」から見て右の沢型)。湾曲した稜線と左(南東)へ下る緩い谷(中ノ谷の源頭部)の接点辺りがザラ峠らしい。結局、当初の予想通り、峠から標高で100mほど獅子岳側に登った稜線上にいたのだが、現在位置の特定でずいぶん時間をロスしてしまった。 
@鳶岳    A鷲岳  Bザラ峠 C中ノ谷 D目印の大岩
 ザラ峠を目指し縦走路を下る。ジグザグ道が終わると大岩のある小尾根の前を通った。この岩は「上の二俣」からも確認でき、小尾根の下に踏跡らしきものが見えたから、妻の忠告に従って踏跡を登っていれば、前述のタイムロスを合わせると優に1時間は早かったかもしれない。大岩からは傾斜も緩み鞍部はすぐだった。
 「ザラ峠」の道標を確認する。ハイマツの多い小カール状の谷は最上部が草付となっており、切れ切れの踏跡らしきものが「上の二俣」の方へと続いていた。
【ウェストンのザラ峠越え】
 今回の山行から戻った後、再度ウェストンの記録に目を通してみた。同方向である順路(1914年8月)の記録では、道が改修されたあとで問題なく通行できたらしく、ルートの様子を知る手がかりはなかった。「ザラ峠越え」の状況について詳しい記述があるのは、やはり逆コースのときのもので(1893年8月)、今回の私たちの山行と状況は大差なかったように思われる。
---- 『日本アルプス登山と探検(W.ウェストン 岡村誠一訳・平凡社ライブラリー)』-----------
 ザラ越え(2190m)の頂上に十時半に着き(注)、そこで濡れた着物を脱いで暖かい太陽の下で乾かすことができた。私たちがいま目指している西のほうの風景は驚くほど印象深いものだった。この自然ながらの大山峡の岩の斜面が崩壊の光景をまざまざと見せているのを見ると、この峰へのルートが見捨てられたことはさして不思議とは思われないが、いったい、人間がかりにこれを開こうと夢みたことを考えると、驚かされるのである。どこを向いても雪崩や地辷りで壊されたものが散在している。岩の塊が、絶壁から下の大山峡の谷底まで転がり落ちて、それがなんとも言えないほど混乱して積み重なっていた。この荒れ果てた混乱の向こうの西のほうに目をやると、神通川の銀のような流れで分けられ、日本海の青く輝く水でその北側を限られた富山の肥えた平野が見えるので、すっかり安らかな気持ちになる。峠の頂上の下に、数メートルのあいだは、古い小径がわずかに見えるけれども、これは、急に消えているので、60度の急な角度をしている茶色の土の斜面を横切って行かなければならなかった。私が仲間のうちの一人について来るようにとさし招きながら、地辷りの所に近づき足場を切り開き始めたときの、いたましい彼の悲しげな表情を今でも私は思い出すことができる。この大山峡をもっとおりて行くと、丘陵の側面に奥まった一隅があって、昔の休み小屋の残骸をおおっていた。その風雨にさらされ腐り果てた材木は、死者の骨のように見えた。下へ進んで行くことは、どうしてもゆっくりやらなければならなかった。けれども普通より困難な岩の上を伝って行くことは、気分を非常に引き立ててくれた。
 閑話休題
 
 薄暗くなってきたので、ヘッデンの準備をして五色ヶ原へ向かう。少し尾根を登った後(稜線に出たポイントを観察できた)、稜線から離れ、木道歩きとなる(五色ヶ原)。すぐに薬師岳方面とテン場の分岐の道標があり、ここからヘッデンの灯りで歩く。分岐からは給水のため「五色ヶ原野営場」方面へ、水場はテン場の少し先で、木道が小沢を横切るところにあった(ゴムホースから水が出ていた)。
 テン場で泊まることも検討したが、五色ヶ原は標高が高いし、吹きさらしで寒そう(少し風が出ていた)。この先は中ノ谷とヌクイ谷に挟まれた五色ヶ原から東方に伸びる尾根の下り。大分遅くなったし初めてのコースではあるが、危険箇所のなさそうな一本道なので、多少でも風のしのげるところまで下ることにする。
 木道が終って尾根に取り付くまでコンパスを出した箇所もあったが、ペンキ表示もあり道は明瞭、特に尾根道に入ってからは全く問題となるようなところはなかった。
小1時間下ると、少々尾根は痩せているものの、所々平坦な箇所が出てくる。急傾斜となった北側は潅木帯となっており転落は免れそうだし多少は風も凌げそうなので、適当にスペースを見つけビバークすることにした。
その1 その2 その3
その4
その5
その6
ウェストンの足跡を訪ねて
トップ アイコン山の手帳トップページへ
山の手帳別冊へ

(since2010.1.10