松尾峠から湯川谷・ザラ峠越え
(北アルプス北西部・立山連峰)その6
ウェストンの足跡を訪ねて

2011年11月3日〜5日(幕営2泊3日)
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その6
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【山行記録のつづき】

11/5(土)曇りのち雨
3.下山
幕営地(2140m)9:23--(写真を撮りながら)--段状地(1980m)10:00--刈安峠(1890m)10:18/30--水場(1470m)11:19--平の小屋11:28/35--平の渡し11:38--中ノ谷出合12:16--御山谷出合14:33--タンボ沢出合14:53--ロッジくろよん14:58/15:05--かんぱ谷橋15:19--黒部湖駅15:26--黒部ダム駅15:37
 最終日は雲の多い天気。それでも船窪岳から朝日が昇る頃には晴れ間もあり、陽の当たる北西方向は、正面(北)に獅子岳の南東尾根がすっきり見えた。この尾根と左手前の五色ヶ原の間には傾斜の緩いV字谷(中ノ谷)が横たわり、そのトップが昨日苦労したザラ峠のようだ。他方、東はシルエットながら北から唐松・五竜・鹿島槍、行く手正面の針ノ木岳、烏帽子岳・野口五郎岳等裏銀座の山々、南方には赤牛岳とその手前に越中沢岳等、光線状態が良い時間帯であればなかなか展望がよさそうだった。

 朝食を終え撤収に取り掛かる。何時の間にどんよりとした空模様になっており予報より早く崩れそう。すぐに雨具を出せるよう準備し、下山開始。まずは、五色ヶ原の東尾根を刈安峠まで下るのであるが、歩き始めはナナカマドが多く、その赤い実が晩秋の寒々とした風景に彩りを添えていた。
展望のあるうちにと、始めは写真を撮りながらのんびり下っていると、広い段状地に出る(1980m・小さなテント5張り程のスペース)。ほとんど表示のないこの尾根道では数少ない中間ポイントで、ほぼ平坦だし、残雪期等水の心配のない時期なら、快適なビバークサイトとなりそうだった。
 小さな電波塔(携帯電話の中継局?)を過ぎ、行く手の尾根上に顕著なピーク(1951.9m峰)が現れる。ということはその手前の樹林に覆われた鞍部が刈安峠らしい。この下りで、ずっと見えなかった立山が漸く覗くようになった。

 刈安峠は、倒れた道標があるだけの小さな峠、木がうるさくて展望もぱっとしないが、暑くなってきたので中間着を脱ぐついでに休憩にした。
 峠はヌクイ谷の枝沢の源頭に当たり、道は尾根から南方へ下っていた。北側は覗きに行った妻によると樹林に覆われた小広場があり(ビバーク可)、その先にもかすかな踏跡があったとのこと。
 峠道は、はじめは沢沿いのやや急な下りだが、小尾根を越え、その先の小さな涸沢を渡ったあと緩やかになる。すぐ下にヌクイ谷が見えてからは、その左岸の一段上を通るほぼ水平な道が続いた。水平道は細い箇所もあり、エアリアの赤実線コースにしてはやや荒れている印象。ヌクイ谷出合の上を通る。対岸に針ノ木谷が見え、水流のある小沢を渡る。この沢は、逆コース、特に平の小屋が営業していない時期には水場として利用価値が高かそうだ。水場から10分足らずで漸く平の小屋へ到着。

 平の小屋は、黒部湖左岸に建つ2階建てのこじんまりしたもの。今シーズンは営業を終了しており、給水施設は使用できなくなっていた。展望もいまひとつで、針ノ木岳が隠れる位置である上、木がうるさく針ノ木谷方面の観察にも向いていなかった。
なお、現在の平の小屋は、ウェストンが泊まったものより100mほど上に位置しており、当時の小屋は黒四ダムの建設により黒部湖に沈んだらしい。
【ザラ峠〜黒部平の小屋の経路】
 ウェストンの足跡を調べていると、少なからずルートが不明な部分が出てくるのだが、今回の場合は、ザラ峠から平の小屋に至る経路がそれであった。当初、安易に現在の登山道と近似コースと思っていたら、ウェストンの記録には黒部〜ザラ峠の途中に『ヌクイ谷峠(又は温谷峠)』という聞き慣れない地名が登場し頭を悩ませた。この地名は現在の地図にはどこにもなく、『ヌクイ谷峠』という名称からヌクイ谷の源頭部(例えば越中沢乗越)あたりかと検討をつけて、手持ちの文献やネット等で探してみるも、手掛かりなし、また、その推定が正しければヌクイ谷に道があったことになるが、そのような記述は、どこにも見つけられなかった。
 といういうわけで、今回は五色ヶ原・刈安峠を経由する現在の登山道を歩いたのであるが、この記録を書くに際して『現代登山全集3 剣・立山・黒部(1961年・創元社)』に目を通したところ、この間の経路について触れてある興味深い記事を発見した(『立山概略図』及び編者の一人である安川茂雄氏の紀行・記録『ある夏山-針ノ木・平・ザラ峠-』)。
それによると、平の小屋〜ザラ峠はヌクイ谷左岸沿いの道から刈安峠へ上がり、峠から
@中ノ谷とヌクイ谷の境界尾根を登って五色ヶ原へ至る道(現行の一般道と思われる)と
A中ノ谷へ下りて,その左岸沿いをザラ峠まで登る道(旧道で佐伯覚英父子がこの頃改修した道)とがあるということだった。
そこで、これを前提にウェストンの『日本アルプス登攀日記』と、これをベースにして書かれた『日本アルプス再訪』の該当記事を読み返してみると、「目から鱗」、ウェストンは間違いなく中ノ谷を下降し、おそらくは現在の刈安峠から平の小屋へ下ったのだと確信するに至った。
---- 『日本アルプス登攀日記(W.ウェストン 三井嘉雄訳・平凡社ワイド版東洋文庫)』-----------
 1914年8月6日木曜日
<前略>
 黒部への道中にある二つの峠の、最初の頂上(ザラ峠)に着く前には、私はすっかり疲れてしまった。のどがかわくのに、人夫は水を持ってきてくれないし、次にどこで水が飲めるかという予告もしてくれなかった。正午十二時すぎに、峠の南側の下で昼食にした。
 峠の頂上で、私たちは二人の日本山岳会の会員(吉沢庄作・荒川大太郎)と会った。彼らは私に、日本山岳会発行の書物に山の雑感でも何行か書いてくれと頼んだ。
<中略〜「さらさら越え」及び高山植物の名称に関するメモ>
 右岸の山腹の上の台地が、五色ヶ原である。
そのかなり下の急流の左岸上で、雪がいくらかあるところを横切った。峡谷の底に大きい雪の塊があった。お茶を飲み、これで本当に生き返った。そのあとは元気づいた。午後三時ころ、私たちは二番目の峠(温谷峠)の頂上に達した。ここも、道が昔よりかなりよくなっている。
 ついに、私たちは黒部小屋に下った。以前見たときより、多少趣が変わっていた。すばらしい場所だった。ただ、衛生設備だけが、このロマンティックな野営地の牧歌的な風情には貧弱だった。

---- 『日本アルプス再訪(W.ウェストン 水野勉訳・平凡社ライブラリー)』-----------
 ザラ越えから雪渓を下り再び登ってもう一つの尾根の鞍部である温谷峠を越える。そして、最初の宿泊地である黒部平の二つの小さい小屋へと下る。ここまで道はずっとよい状態で続いていた。
 閑話休題
 
 この先はウェストンが歩いた『ザラ峠〜針ノ木峠越え』とは関係ないし、ガイドマップでは赤実線で注意書きもないことから、ろくに調べていなかった(黒部湖畔の遊歩道のようなものを想像していた)。ところが、実際歩いてみると意外に難路で、スケールの小さい「下の廊下」ような感じ。道幅が広く手がかりのワイヤーもある「下の廊下」よりかえって歩き難い箇所もあった(残雪期や夜間の通過は困難)。小さな沢がいくつも入っており水の心配がないのは有難いが、コースタイムを大分オーバーしたことから、再度歩くときは(針ノ木谷をザラ峠と分けて歩く場合)、少々余裕をもった計画とすることが必要だと感じた。
 まず、小屋から平の渡しは僅かな距離だが、急斜面の細いトラバースがあり残雪があったら通過困難、船着場へ下りる階段も急勾配だった。その後もザックが大きいと歩き難い切通しがあったりして中ノ谷出合が遠く感じた。
 また、中ノ谷出合〜御山谷出合は、細いトラバース道に加え桟道もあり、区間の前半の急な涸沢の出合の通過では連続する丸木梯子の登降があった(梯子は濡れると滑りやすく、一部壊れている箇所があった)。長い梯子を過ぎると対岸に針ノ木岳がよく見え、視界があるときには現在位置の特定には役立ちそう。御山谷出合の手前の大きな半島付近は小さなアップダウンが続き思ったより時間がかかった。
 タンボ沢出合の手前でとうとう雨が落ちてくる。「ロッジくろよん」から先は道幅も広くなり、かんぱ谷を渡ると舗装道路となった。遊覧船の船着場を過ぎてから漸く人を見るようになり、黒部ダム駅は行列が出来ていた。

【行程】11/3(木)〜5(土)幕営2泊3日
自宅(横浜)11/3(木)1:50=(第三京浜・環八・R20・首都高(調布IC入り)・中央道・長野道)=豊科IC4:56=扇沢駐車場5:40/7:30=(アルペンルート)=室堂9:25/10:00=(高原バス)=弥陀ヶ原10:15/20--(松尾峠遊歩道--工事用緊急避難路下降--湯川谷遡行--新湯(幕営)--湯川谷遡行--ザラ峠--五色ヶ原--東尾根(幕営)--平の小屋--黒部湖畔道→【山行データ】参照)--黒部ダム11/5(土)15:37/16:05=扇沢16:21/40=大町温泉郷『薬師の湯』16:55/18:15(入浴等)=(買い物・食事)=豊科IC20:23=(長野道・中央道)=八王子IC22:25=(R16・R246)=帰宅23:30

【山行データ】
*付きの時間は休憩を含む時間。休憩は、歩き始め20分後及び以後1時間毎に1回(3〜5分)、この他渡渉に伴う靴の履き替え・水補給等(15〜20分)。→[詳細データ]に明示されていないものあり。
11/3(木)曇り時々雨
行動時間4時間36分(@2時間35分A1時間45分B16分の合計)
@弥陀ヶ原バス停--(遊歩道*37分)--工事用緊急避難路出口--(*1時間53分)--緊急避難路入口(5分休憩)
A緊急避難路入口--(湯川谷遡行*1時間40分)--新湯地獄(湯の池・5分休憩)
B新湯地獄--(16分)--新湯湯滝(幕営地)
11/4(金)快晴
行動時間8時間19分(@2時間48分A3時間B2時間31分の合計)
@新湯湯滝--(湯川谷遡行*2時間13分)--ザラ峠取付(靴履き替え・休憩35分)
Aザラ峠取付(2010m)--(正しいルート*1時間10分)--二俣(2260m)--(左俣(誤ったルート)1時間6分)--稜線(2450m/現在位置確認等44分)
B稜線(2450m)--(12分)--ザラ峠(2348m/写真等13分)--(*2時間6分(うち水補給等17分))--五色ヶ原東尾根2140m(幕営地
)
11/5(土)曇りのち雨
行動時間6時間14分(@2時間12分A3時間30分B32分の合計)
@幕営地(2140m)--(*2時間5分)--平の小屋(1480m/休憩7分)
A平の小屋--(*3時間23分)--ロッジくろよん(休憩7分)
Bロッジくろよん--(32分)--黒部ダム駅
[詳細データ]
()内の標高は*付きのものを除き高度計の測定値、高度が判明している地点での誤差を用いて修正していますが、正確ではありません。
11/3(木)小雨のち曇り
弥陀ヶ原バス停10:20--追分駐車場10:33--(松尾峠展望コース)--緊急避難路出口10:57--南尾根乗越地点(1900m)11:04--(北東方向へトラバース)--東尾根乗越(上)11:20--(東尾根北側山腹下降・注1)--東尾根乗越(下)11:45/50--(東尾根と北東尾根の間の沢型を下降し松尾平の上を南東尾根へ・注2)--道標『松尾峠まで1.2km』12:15--(南東尾根の下降)--緊急避難路入口(湯川谷右岸1350m)12:50/55--下流の堰堤(湯川谷を左岸へ渡る)13:00--兎谷出合13:03/13--松尾谷出合(橋を右岸へ渡る)13:20--(右岸の工事道路)--左岸への渡渉点(サンダルに履き替え)13:40/14:00--(左岸沿いの踏跡)--フィックスのある古い堰堤14:15--(左岸の高巻道)--新湯地獄(湯の池)14:35/40--新湯の湯滝(湯川谷左岸・幕営)14:56
11/4(金)快晴
新湯の湯滝(1650m)10:42--右岸へ渡渉10:49--左岸へ渡渉11:15--(左岸の河原歩き・国見谷出合11:32)--獅子谷出合(1840m・右岸へ渡渉)12:15/25--2533m峰北面の沢との出合(左岸1880m)12:38--「下の二俣(1980m・ザラ峠取付)」12:55/13:30(靴に履き替え・大休止・左俣(ガレ沢)を登る)--右岸の涸沢出合13:50--「上の二俣(2220m・草付)」14:40--(左俣を登る;ルートミス)--稜線(2450m)15:46/16:30(現在地確認等)--(この先一般道)--ザラ峠(*2348m)16:42/55--五色ヶ原幕営地分岐17:22--五色ヶ原幕営地の水場17:48/18:05(水補給)--幕営地(五色ヶ原東方の尾根2140m)19:01
11/5(土)曇りのち雨
幕営地9:23--(写真を撮りながら)--刈安峠(1890m)10:18/30--水場(1470m)11:19--平の小屋11:28/35--平の渡し11:38--中ノ谷出合12:16--御山谷出合14:33--タンボ沢出合14:53--ロッジくろよん14:58/15:05--かんぱ谷橋15:19--黒部湖駅15:26--黒部ダム駅15:37
【参考文献】
1.
日本アルプス登攀日記(W.ウェストン・三井嘉雄訳・平凡社)
2.日本アルプス登山と探検(W.ウェストン著・岡村精一訳・平凡社ライブラリー)
3.日本アルプス再訪(W.ウェストン 水野勉訳・平凡社ライブラリー)
4.現代登山全集3 剣・立山・黒部(諏訪多栄蔵・山崎安治・安川茂雄・山口耀久 編/東京創元社)
5.山と高原地図36剱・立山(昭文社・2004年版)
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