旧東海道 北品川から鈴が森
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   池上本門寺境内
 鈴が森刑場跡より数キロ西南に行くと、池上本門寺(日蓮上人が没したところ)が有ります、梅園と歴史史跡を紹介します。
 
 前田利家の室(左手前)と加藤清正室の供養塔。当山は江戸初期に将軍家、大名の外護・帰依を受けて再建・拡充した。


 関東に現存する五重塔で最古
徳川秀忠の病気平癒祈願のお礼に1607年に建立された。


力道山の
墓本門寺
には著名人
の墓が沢
山有ります

   池上本門寺松涛園
 4000坪の広さで、小堀遠州作庭と言われ、大きな池に洲浜・織部井戸・鶴島・亀島・魚見岩・太鼓橋などを配し滝見橋・松涛の滝などが造られている。江戸期大名庭園の祖形がここにある。


 自然の窪地に作庭され、客殿から俯瞰できる景観が特徴。池泉は地下水の湧き水による。


大きな大きな石灯籠
絶妙なバランスで建っています。


庭園一角に東屋があった、西郷隆盛と勝海舟が会見したとされている。
 北品川の八ツ山陸橋、ここから品川宿が
始まります。映画「ゴジラ」でゴジラが上陸の
第一歩を印した昭和史跡です。京浜急行
がすぐそばを走っています。

 11代将軍家斉の時代、品川沖に迷い込んだ鯨の骨を葬った塚です、利田神社には当時の「瓦版」の写しが残っているそうです。

 品川神社、北品川宿の鎮守、祭神は女性、標高15mの品川冨士からは江戸湾-房州半島が望めたそうですが、今はビルばかり・・・。

 善福寺本堂の彫刻と
伊豆長八作の漆喰こて
絵が見事です。残念な
がら痛みが激しい。
  

       
 法禅寺境内にある「流民叢塚碑」は天保の飢饉で亡くなった891人(500人余が当寺に埋葬された)の供養塔。

 江戸時代の本陣跡、明治には天皇が休憩したため、聖蹟の名がつく公園となった。

 荏原神社、東・南品川の鎮守、奈良時代の創建。狛犬
が子供を連れているのは珍しく、美しい狛犬です。以前の目
黒川は社の北側を流れていました。


 旧東海道は海に近く浜
風が強かったため、街道
沿いの街並みは低い二
階家が多かった、大正時
代の職人の家と、旧東海
道の道路標識。   
 


 「なみだ橋(浜川橋)」は鈴
が森の刑場に引かれる罪人と
縁者が涙ながらに別れた場
所。右は坂本竜馬も通った
浜川砲台跡。
       


           
 第一京浜国道と交わる三角地にある鈴が森刑場跡。丸橋忠弥、平井権八、八百屋お七らが刑場の露と消えた。磔台と火炙台の基礎石が残されている。


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