現存天守閣   国宝四城
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近年「歴史ブーム」といわれ、若
い世代とくに「歴女」といわれる
人達が多くなり、女性も含め史
跡探訪がブームになっているよう
です。

お城はその雄姿から一定のフア
ンがあり根強い人気があります
 ’10.10の中国四国地方のド
ライブで各所の城郭を訪ね、現
存する天守閣の12城全てを見
物する事ができましたので順次
紹介して行きます。

史跡の見物は、少し史実につい
ての知識があれば見物の趣が
全く違ってきますね。     
「築城」に関連する単語で現代
も使われている言葉が沢山あり
ます、一部を紹介しますと。

“地取”とは築城の場所を何処
にするか決めることで、想定する
敵の侵攻ルート、防御体制、
地質・水利など多面的な条件
のなかから選び抜き地取を行い
ます。

お城の地取は大きく分けて三つ
のパターンに分類されます。

1:「山城」山の頂上など築かれ
た城、攻撃されにくく防御に優
れた構造だが、日常生活には
不便、備中松山城など。

2:「平城」安土桃山時代から
江戸時代にかけて、国内が平
和になると多くつくられるようにな
った。生活の場としては便利だ
が、攻撃されやすい欠点もあ
る、名古屋城・駿府城など。

3:「平山城」山城と平城の長
所を兼ね備えたタイプ、戦国時
代の後半から江戸時代初期
に、小高い丘陵地に築かれた。
姫路城・大阪城・江戸城・丸
亀城など。

“縄張”とはヤクザの言葉で勢
力範囲のことを縄張りと言いま
すが、本来の意味は「城の基本
設計」のことで、本丸や天守を
何処に置き石垣・土塁、堀・濠
はどのように構築するか、櫓・虎
口の配置は何処にするかなど、
城をどのようにつくるか決めること
を言います。

“曲輪”とは江戸時代、遊郭な
ども曲輪と呼んでいたが、本来
の意味は本丸、二の丸などの
「丸」「郭」とも呼ばれたところで
城によりその数は違います。

お城を象徴する建物は天守で
すが、最初に建てたとされている
のは、松永久秀で、信貴山城・
多聞山城の四階の櫓が天守と
いうべきものとされております。

天守の種類は、丸岡城・犬山
城・高知城・弘前城などの「独
立式」、松本城は「連結式」と
「複合式」を合体させたもの、姫
路城・松山城の「連立式」に大
別されます。

現在のお城では、往時の惣構
を(城全域のことで曲輪、堀・
濠、武家屋敷、町家、商家、
などを含んだ城下町)見ることは
出来ませんが、史跡として残さ
れている町並みなどから、往時
を想像の世界で偲んでみるのも
史跡観光の楽しみではないでし
ょうか。

今回紹介する国宝の4城(姫路城・彦根城・松本城・犬山城)の他に、備中松山城・丸岡城・松江城・松山城・宇和島城・高知城・丸亀城・弘前城の8城を合わせた12城が往時の天守で、現存天守と呼ばれており、修復などが行われながら現在に至っています。 姫路城は平成5年に世界文化遺産となりました。

姫路城天守追手門より
姫路城天守西の丸より
姫路城小天守


  1333年播磨の守護職赤松則村がここに砦を築き、その子供赤松貞範が1346年に築城したのが
 姫路城の始まりで、いろいろな城主が変遷の後、1601年池田輝政が拡張し5層7階の天守を築いたの
 が現在の姿である。西の丸は本多忠政の長男忠刻と千姫のために造営された。  東・西・乾の小天守と
 大天守の連立式姫路城は大変美しい。 右の写真は小天守3本が一度に見える、ビューポイント。
姫路城虎口の一つ
天守通し柱
武器保存廊下


 迷路のような複雑な縄張りの構
造となっている、虎口の先に天守が
見える。ビューポイント。

 姫路城の天守は、東西2本の
巨大な通し柱で支えられてる。耐
震構造として威力を発揮してきた  

 広い廊下の壁は、槍・鉄砲・弓
などの武器が備えてある。 城内には「播州皿屋敷」お菊井戸がある

彦根城天守追手口より
彦根城搦め手側
彦根城追手側の破風


  徳川幕府が西国大名に睨みを利かせるため、重要拠点として譜代
の井伊家に築城させ1622年に完成した。急ぐ必要が有ったため、近隣
の廃城となった建材を移築させている。天守に様々な様式の破風が見
れるのも移築を裏付けている。

三層の天守には切妻破風、入母屋破風、千鳥破風、唐破風が多様に配され、装飾的な華頭窓、高欄付廻縁などが見られる。
彦根城石垣
玄宮園
城内の木組み


  天守の石垣は「ごぼう積み」と
言って、外見粗雑に見えるが頑丈
な積み方で、彦根城特有のもの

である。

 井伊家4代藩主直興により造
営された、池泉回遊式大名庭
園で四季折々に風情豊かな姿
を覗かせている。

  移築を裏付けるものとして、柱・梁などの建材に専用のものが少なく、移築材料を巧みに利用している。

松本城
松本城搦手口方向より
松本城大手口より


  信濃の守護職小笠原氏が松本平に林城を築城し、支城であった深志城が松本城の前身となる。
豊臣秀吉の時代、石川数正・康長親子が入府し城下町の拡充を行い、1957年築城、複合連結式五重
六階の大天守と小天守、辰巳付櫓のバランスのとれた配置は、見るものに感動を与える美しさと迫力がある。
松本城本丸広場
最上階の井桁梁
天守内の急階段と丸柱


 右手の桜は加藤清正の「馬つな
ぎの桜」といわれている。 雪の北ア
ルプスを背景にした姿は、天守の美
しさを際立たせます。

 天守最上階の天井は井桁張りで
組まれ屋根の重量をバランスよく支
えており他の階にも応用されている

 天守は他の城より急階段であり  柱も多くツガ・桧・松などが使わ  れている、乾小天守は丸太柱が 多い

犬山城大手門より 天守と桜
犬山城  天守とハナミズキ
犬山城 天守と紅葉


  国内最古の天守といわれており、天守の下部は1537年に上部は1596年に建てられた天守である。江戸期尾張藩付家老成瀬正成が入城し、以後城主世襲は2004年まで続いた。 木曽川越しに見る犬山城は格別の趣があります、豪華でも巨大でもない、しかし凛とした美しさで、「この城見ずして城を語るな」お城フアンは一度は見ておくお城でしょう。 四季折々に見物できた、好きなお城です。
天守より木曽川を望
天守前本丸広場
大杉さま



 木曽川を背にした後堅固の城で、天守から見る木曽川の景色は川岸の桜が満開で、素晴らしい眺望でした。 廻縁は昔のままで高欄が低くチョッと怖い? 中央の写真、本丸広場の桜も満開でした。 右の写真、樹齢650年犬山城築城頃からの老木で天守と同じくらいの高さがあった、落雷・台風から天守を護っていたが1965年頃枯れました。

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