桜の名所 高遠城址公園と河津桜    
六義園の昼と夜
           

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高遠城址公園近くの「江島」の墓
絵島生島事件は、江戸時代大奥の大スキャンダルと云われていますが、月光院派(七代将軍家継の生母)と天英院派(六代将軍家宣の正室)の勢力争いで、幕政を牛耳っていた、新井白石・間部詮房を追い落とすため、譜代大名や五代将軍綱吉時代からの老中達が事件を画策したという説が有力です。
「囲い屋敷」に幽閉され、朝夕二度、一汁一菜のみの、魚も絶った質素な生活が27年間続きます。晩年幕府より「絵島」赦免の沙汰があったが固辞し、「もし相果て候はば、日蓮宗にて」の遺言で蓮華寺に埋葬されました。遠流されていた人とは思えない扱いで、晩年の絵島の人柄が偲ばれます。
桜の名所では、高遠城址と河津の桜を紹介することにしました。小振りな花びらでピンク色が濃く、近くから見ても遠くから見ても、可憐で美しく、強く印象に残っている“桜”だからです。
弘前城跡、角館の枝垂桜、吉野の千本桜と、有名な桜の名所が各地に沢山有りますが、桜の時期に訪れた事が無く紹介できません、何れかの時期に紹介できれば・・・と思っています。

高  遠  城  址  公  園


高遠コヒガンザクラは、ヒガン桜とマメ桜の中間種で、100年を越す古木も多く残されてい
ます。花は小さく濃いピンク色が特徴で、1500本の桜が咲くと園内が桜色に染まります。
公園の一角に、ピンクの花雲の間から残雪の中央アルプスを望める、まさに天下一のビュ
-ポイントもあります。 長野県の天然記念物で門外不出の高遠コヒガンザクラです。

高遠城は、武田盛信軍3,000人と織田信忠軍50,000人の激しい攻防があり、盛
信軍は全滅し、その後武田勝頼も敗れ、ついに武田氏は滅亡しました。

左の写真は桜雲橋付近、中央は瓢箪池付近。

河   津   桜
原木が河津町で偶然発見された新種の桜で、寒緋桜と大島桜の自然交配種と云われている。1月下旬から2月にかけて開花する早咲きの桜で、淡紅色で桃色が濃く、花期が1ヶ月と長い。 写真左は川沿いの菜の花と河津桜。右は河津町の飯田氏宅にある原木です、メジロがたくさん花の蜜を求めて集まっていました。

東 京 の 三 名 所
左の写真は「千鳥が淵」中は「上野公園」右は「飛鳥山公園」で、東京の三名所と云われています、ソメイヨシノの老木が多く、沢山の花を付け、桜の時期は大勢の人出で賑わいます。飛鳥山は江戸時代8代将軍吉宗が、江戸町民の憩いの場所として植樹させたもので、当時より大いに賑わっていたようです。

  その他 の 名 所
神代植物公園
新宿御苑

榴ヶ岡公園(仙台)




神代植物公園の桜は種類が多く、65種類600本の桜があります。写真の桜の名前は忘れましたが、色濃く美しい桜でした。  新宿御苑は広い苑内に多くの桜が有ります、高層ビルを背景としたり、池に映えたりと様々な情景を見せてくれます。  榴ケ岡公園は、新幹線の時間待ちに立ち寄ったもので、仙台駅の直ぐ近くにこんな枝垂桜が沢山綺麗に咲いているとは知りませんでした。大震災の後、無事であれば良いのですが・・・。

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