天守閣は、織田信長の時代望楼形天守と呼ばれる、寺社等の建築様式(強固)の上部に望楼を乗せる形でしたが(安土城・丸岡城等)、高虎は層塔型天守を考案した(松本城・松山城等)。柱寸法の規格化を行うことにより(現代のプレハブ工法のようなもの)、材料調達が容易になり、工期を短縮でき、短期間に多くの築城を行うことができました。 各地の城を見て歩きながら、段々とその魅力に嵌っていきました。 12天守に使われている古い材料と、強度・美・防御の工夫にも興味が沸きますが、何と云っても築城の6割を負担する石垣の造形美には、圧倒される事も合わせ、時が過ぎて行くのを忘れ、見惚れてしまいます。 全体は現存していなくても、石垣を含めた城の縄張りを想像していると、戦国武将の命を賭けた男のロマンを感じさせられます。 これからも機会が有るたびに各地の城を訪ねたいと思っています。 |
広島城 |
弘 前 城 | ||
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現存天守では最北に位置し、幕府の目付役として奥羽に睨みを利かせる巨城です。当初は西南の隅に五層の天守であったが焼失し、現在の天守は江戸後期に再建されたもの。江戸時代初期以来の貴重な建物が八棟現存している。 現在は北の桜の名所として知られている。 |